文学の嗜み

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辻村深月『鍵のない夢を見る』町の事件をテーマにした5篇、結論を読者に委ねる

辻村深月さんの短篇集『鍵のない夢を見る』(文藝春秋, 2012年5月)は第147回(2012年上半期)直木賞受賞作です。辻村深月さんは1980年山梨県生まれ。直木賞受賞は32歳のときでした。
単行本の帯には「恋愛、結婚、出産。普通の幸せ、ささやかな夢を叶える鍵を求めて魔が差す瞬間」と書かれています。

 

短篇集『鍵のない夢を見る』には、「仁志野町の泥棒」「石蕗南地区の放火」「美弥谷団地の逃亡者」「芹葉大学の夢と殺人」「君本家の誘拐」の5篇が収録されています。いずれも一人の女性を主人公とし、彼女らの視点で物語が描かれています。彼女らは2、30代の女性たちです。

上梓の際の著者インタビューにおいて、辻村深月さんは次のようなことを述べています。

「新聞やテレビのニュースで大きく取り上げられることのない“町の事件”を扱う短篇集にしようと、はじめに決めました」(文藝春秋のウェブメディア「本の話」より)

「今回は、より経験豊富な方々にも読んでもらいたいと、結論を出してしまわずに“読者に委ねる”書き方を意識しました」(文藝春秋のウェブメディア「本の話」より)

短篇集『鍵のない夢を見る』の初出は次のとおりです。

仁志野町の泥棒 オール讀物2009年10月号
石蕗南地区の放火 オール讀物2010年4月号
美弥谷団地の逃亡者 オール讀物2010年1月号
芹葉大学の夢と殺人 文春ムック「オールスイリ」
君本家の誘拐 文春ムック「オールスイリ2012」
(巻末からの引用)

辻村深月さんは、上梓のインタビューにおいて次のようなことも述べています。

「いずれ、ひとつの事件を、当事者だけでなく、報道する側など、多数の視点で描く小説を書いてみたいですね」(文藝春秋のウェブメディア「本の話」より)

「仁志野町の泥棒」は、大人になった主人公の「ミチル」が、小学生3年生のときに転校してきた律子とその母親のことを回想する話です。「私」という一人称で語られます。彼女たちが通っていた学校は全学年一クラスずつ。二人は小学校を卒業するまで同級生でした。
冒頭は観光バスの車内。ミチルは母に誘われて「お伊勢参りバスツアー」に参加しました。案の定、周りは中高年ばかりで、若者はミチル一人。ミチルは小学校の教師になっています。偶然にも、そのツアーのバスガイドが、律子でした。顔を見た時、「あ、りっちゃん」と気づきましたが、声を掛けることはありません。
律子の挨拶や日程の説明が終わると、ミチルの回想が始まります。律子は、小学3年生の夏休み明けに転入してきました。律子と一番仲が良かったのは、クラスでの人気のある優美子。それにミチルも加わり三人一緒に遊ぶようになります。
5年生になったミチルは、同級生の樹里から律子の母親のことを知らされます。驚いたことに優美子はそのことを知っていました。親たちの反応は様々だったものの、警察沙汰にはなりません。地域の大人たちは、律子の母親に対して、結局は寛容な態度をとりました。子どもの間でも、律子を非難するような噂はしばらくすると止みました。
そして6年生の夏休み、ミチルは噂の真相を目の当たりにするのです。ミチルの母親は、律子ちゃん自身はお母さんのこととは関係ない、とミチルに言い聞かせることさえします。そしてミチルは、律子から泣き崩れながら謝罪されたこともあり、これまで通りの関係を続けます。しかしミチルは、律子と優美子と三人で買い物に行ったとき、律子から裏切られることに。

「石蕗南地区の放火」の主人公は、笙子という女性で年齢は36歳。短大卒業とともに財団法人町村公共相互共済地方支部に就職し、現在に至っています。結婚願望があり、学生時代からわりとモテていたようですが独身です。両親は心配し見合い話を持ってきます。
「石蕗南地区の放火」では、消防団の詰め所で不審火が起こります。そこは笙子の実家の真向かいです。

「美弥谷団地の逃亡者」の主人公は浅沼美衣。彼女は高校生のときから出会い系サイトを利用していました。そして、高校を卒業してから3年ほど経った頃、出会い系サイトで知り合った、陽次という男と付き合い始めました。美衣は、DVを受けても冷静な判断ができず、遂には悲劇が起こります。
「美弥谷団地の逃亡者」の冒頭は、相田みつをの詩の引用で始まります。美衣と陽次の二人が連絡を取り始めたばかりの頃、陽次は美衣に相田みつをの詩をメールで教えました。美衣はとても感動し陽次に好意を抱き、二人はすぐに親密になっていったのです。

「芹葉大学の夢と殺人」の冒頭は、「指名手配中の容疑者、女性を突き落とす?」という見出しの、報道記事で始まります。それに続けて「私」という一人称で物語が語られてゆきます。彼女は、大変な事態になっても、好きになった相手のことを思いつづけます。彼女は究極の自己犠牲をも躊躇しませんでした。

「君本家の誘拐」の主人公は君本良枝。彼女を主人公にした三人称小説です。最後の章のクライマックスなどで何カ所か「私」という一人称が使われていますが、基本的には三人称で展開してゆきます。他の4篇は、主人公「私」の視点による一人称小説でした。
「君本家の誘拐」は出産と育児を題材にしています。冒頭の場所は、大型ショッピングモールに入ったショップの一つ。良枝が、ベビーカーがないと慌てふためく場面です。
場面の区切りには、1から8までの番号が振られています。2番目の章になると、場面が大きく変わります。2章から7章までは、子どもを授かるまでのこと、授かってからのことが、走馬灯のように語られてゆきます。そして最後の章では現在に戻ります。良枝本人が一番驚くような展開です。良枝が最後にとった行動にも考えさせるものがあります。