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大江健三郎『万延元年のフットボール』 戦後の日本文学を代表する作品

 

『万延元年のフットボール』は、ノーベル賞作家である大江健三郎さんの代表作の一つです。大江健三郎さんは、この作品で1967年の第3回谷崎潤一郎賞を受賞しました。
度々、戦後の日本文学を代表する作品に挙げられています。
1994年にノーベル文学賞を受賞した際も、受賞理由について『万延元年のフットボール』が取り上げられています。

大江健三郎さんは、1935年生まれの作家です。
『万延元年のフットボール』が発表されたのは、大江健三郎さんが32歳のときでした。
『万延元年のフットボール』は、1967年に講談社発行の月間文芸雑誌『群像』に連載されていた長編小説です。
そして同年に、加筆した単行本が講談社から刊行されました。

目次

『万延元年のフットボール』のあらすじ

物語の語り手である根所蜜三郎は、東京の大学で教師をしています。
蜜三郎は、心に深い闇を抱えています。
理由の一つは、蜜三郎の子供が生まれつきの知的障害児であることです。
結果的に育児を放棄し、施設に預けています。
そして、蜜三郎を苦悩させるもう一つの出来事は、友人が自殺したこと、しかも異様な姿で。
蜜三郎の妻である菜採子は、重度の精神障害児を出産したことで、精神状態が不安定となり、酒に溺れています。
また、蜜三郎が友人と同じようなことをするのではという不安も抱いているようです。

蜜三郎には、鷹四という弟がいます。
鷹四は、渡米していましたが、帰国することになりました。
鷹四には、10後半の星男と桃子という信奉者がいます。
蜜三郎と妻の菜採子は、星男と桃子と一緒に空港で鷹四を出迎えることになります。
帰国した鷹四は、故郷の四国を一緒に訪れようと、蜜三郎を誘います。
そして、蜜三郎、鷹四、菜採子、星男、桃子の5人は、四国の山奥にある谷間の村を訪れました。
そこで、物語は大きく展開していきます。

万延元年は西暦にすると1860年です。
蜜三郎たちが訪れた場所は、江戸末期の万延元年に百姓一揆があった地です。
実は、その百姓一揆には、蜜三郎と鷹四の曽祖父兄弟が密接に関わっています。
兄は村をまとめる庄屋で、弟は一揆の指導者だったのです。

鷹四は、江戸時代の曽祖父兄弟の姿を、現代の自分たちに重ね合わせようとします。
ついに、鷹四は過去の出来事を追体験するような暴動を起こします。

時代背景と作品のモチーフ

大江健三郎さんが『万延元年のフットボール』の執筆したころは、安保闘争があった時代です。
執筆された作品には、当時の時代背景も色濃く影響を与えているようです。
大江健三郎さん自身も60年安保のデモに参加しており、この時の体験を『万延元年のフットボール』に反映させたそうです。

また、蜜三郎は重度の精神障害児の父親ですが、大江健三郎さんにも知的障害の息子さんがいます。
障害のある子供が生まれた苦悩は、『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『新しい人よ眼ざめよ』といった作品のモチーフになりました。

大江健三郎さんの小説は、60年代ごろから多くの支持を集めてきました。