文学の嗜み

文学表現全体の総合的な研究

ノーベル賞作家・大江健三郎氏が初期に書いた短編小説

大江健三郎氏は1935年愛媛県生まれ。1994年にノーベル文学賞を受賞した。氏は東京大学文学部フランス文学科在学中から学生作家として有名になり、在学中に芥川賞を受賞している。

新潮社刊行の『死者の奢り・飼育』および『見るまえに跳べ』

大江健三郎氏は、在学時から多くの短編小説を主要な文芸雑誌に発表している。氏の初期の短編小説は、『死者の奢り・飼育』や『見るまえに跳べ』などの短編集で読むことができる。
『死者の奢り・飼育』には、在学時の1957年から1958年に発表した6編。『見るまえに跳べ』には、処女作「奇妙な仕事」から3年後の「下降生活者」までの10編が収められている。

第39回芥川賞受賞作「飼育」、第38回芥川賞の候補作「死者の奢り」等

 

新潮文庫から刊行された作品集『死者の奢り・飼育』は、「死者の奢り」や「飼育」など6編を所収している。新潮社の裏表紙には、「死者の奢り」を「屍体処理室の水槽に浮沈する死骸群に託した屈折ある抒情」、「飼育」を「黒人兵と寒村の子供たちとの無残な悲劇」、と紹介している。

表題作の一つ「飼育」は、大江健三郎氏が第39回芥川賞を受賞した作品である。第39回は、1958(昭和33)年上半期。「死者の奢り」は、前年の第38回芥川賞の候補作。
大江健三郎氏は、第38回芥川賞では僅差で受賞を逃している。第38回芥川賞作は、大江健三郎氏とは対照的な作風で書かれた、開高健氏の「裸の王様」。芥川賞受賞時の大江健三郎氏は、23歳の学生作家でありながら、すでに流行作家となっていた。

芥川賞を、無名の新人発見のための賞とする考えは根強い。新人の短篇に授与するのが建前。すでに大江健三郎氏が、流行作家であることを、選考委員の多くが選評で触れている。日本文学振興会の理事長は、芥川賞の制定当時と今日とではジャナリズムの情勢に急激な変化があり、新人が半年間ぐらいでときめくこともあるが、名声は安定したものではないので、新人と認めよう、という趣旨を述べたらしい。
大江健三郎氏は、処女作を発表してから年数は経っておらず、また学生であったため、芥川賞授賞の対象になると結論に至ったようだ。芥川賞授賞は、新進作家の安定の手助けをすることにも意義がある。また、すでに候補作となっているのだから、最も優れた作品に賞を授与するのは当然であろう。

「飼育」は、大江健三郎氏が東京大学文学部フランス文学科在学中の1958(昭和33)年に発表した作品である。芥川賞受賞時の年齢は23歳。初出は、文藝春秋が発行する月刊文芸誌「文學界」の1958年1月号。
1958年3月に文藝春秋新社から「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「人間の羊」の4編を収めた単行本『死者の奢り』が刊行された。1959年9月の新潮社による文庫本化の際には、4編に「不意の唖」「戦いの今日」を加えた6編を収め、表題を『死者の奢り・飼育』とした。現在は電子書籍化もされている。
ノーベル賞作家の初期作品群として興味深い作品集である。(※文藝春秋は、大正12年1月に文藝春秋社として創設され、昭和21年3月に一旦解散。同年6月に文藝春秋新社を設立。昭和41年3月に文藝春秋に社名変更している。)

初出は「死者の奢り」が「文學界」の1957(昭和32)年8月号、「他人の足」が「新潮」の1957年8月号、「飼育」が「文學界」の1958年1月号、「人間の羊」が「新潮」の1958年2月号、「不意の啞(おし)」が「新潮」の1958年9月号、「戦いの今日」が「中央公論」の1958年9月号。
この頃、大江健三郎氏は、その他にも多くの作品を発表し、批評家の賛辞を得ていたようだ。

第39回芥川賞の候補作の一つ「鳩」等は『見るまえに跳べ』に所収

 

第39回芥川賞の候補作の一つ「鳩」も大江健三郎氏の作品。構成に関しては、「死者の奢り」より「鳩」の方が秀でているという意見を、選考委員の一人が述べている。「鳩」は、「文學界」の1958(昭和33)年3月号に掲載された作品である。新潮社から刊行された『死者の奢り・飼育』には、「鳩」は所収されていない。
「鳩」は、新潮社刊行の作品集『見るまえに跳べ』に収録されている。『見るまえに跳べ』には、「奇妙な仕事」(東京大学新聞1957年5月)、「動物倉庫」(文學界1957年12月号)、「運搬」(別冊文藝春秋1958年2月)、「鳩」(文學界1958年3月号)、「見るまえに跳べ」(文學界1958年6月号)、「鳥」(別冊文藝春秋1958年9月※初出時タイトルは「鳥たち」)、「ここより他の場所」(中央公論臨時増刊1959年7月)、「上機嫌」(新潮1959年11月号)、「後退青年研究所」(群像1960年3月号)、「下降生活者」(群像1960年11月号)を所収。作品集『見るまえに跳べ』の所収は、処女作「奇妙な仕事」から3年後の「下降生活者」までの10編である。

大江健三郎氏の文体および主題について

大江健三郎氏の文体については、新潮文庫『死者の奢り・飼育』の裏表紙に「論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体」と記されている。
ただ、第39回芥川賞における「飼育」の選評では、「わざと解りにくく書いているような気もする」という評価もあった。気どりや病的なところがあるとの意見もあった。後者の意見を述べた選考委員は、作者の小説の特徴とも述べている。

文学評論家の故・江藤淳氏の解説を読むと、当時、大江健三郎氏は「思想を表現しうる文体」を持った新人と目されていたとのこと。ここでいう思想について、解説にはサルトル流の実存主義とある。
ただし江藤淳氏は、そのことに感動したのではなく、背理にかくされた抒情にすぐれた資質を感じたという趣旨のことを述べている。先に述べた裏表紙の「論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体」も、江藤淳氏の解説からの抜粋である。
「飼育」に関しては、才能を開花させたみごとな文体であると、賛辞を送っている。そして江藤淳氏は、大江健三郎氏の「飼育」について次のように述べている。

このような残酷な話を、かくも豪奢な美のなかに展開させることのできる作家はどのような人間であろうか

芥川賞の選評では、大江健三郎氏の作品には病的感覚があるという意見があった。ただ、若い作者の気質ではないかという意見もある。若い情熱という評価もあった。
小説のテーマを明と暗にわけると、「死者の奢り」や「飼育」のテーマは暗。「死者の奢り」の題材は、死体という異常なもの。この事に関して選考委員からは、読者の好奇心を釣るためでは、などといった厳しい意見も出た。しかし、反感を持つ選考委員も、小説家としての才能と資質を認めているし、そこに小説の面白さがあるとする意見が多かった。
「死者の奢り」と「飼育」の二作を推す意見、才能気質が際立っているとする意見などが出ている。結局、反対した選考委員は、大江健三郎氏が新人作家には該当しないと考えていたようだ。

また、1958年に文藝春秋新社から刊行された作品集『死者の奢り』の跋文についても、江藤淳氏は解説で触れている。これらの作品には、一貫した主題があった。それは、次のような内容である。

監禁されている状態、閉ざされた壁のなかに生きる状態を考えること

大江健三郎氏は、若くして文壇を席巻し、1994年にはノーベル文学賞を受賞した。江藤淳氏も述べているが、通例に漏れず、処女作などの初期作品には作家が伝えたい主題の萌芽がかくれているもの。

大江健三郎氏の実質的な処女作は、1957年発表の「奇妙な仕事」。本作は、東京大学の五月祭賞受賞作として「東京大学新聞」に掲載された。
そして、文壇的処女作が「死者の奢り」である。「死者の奢り」の主人公は、作家本人と同様に、文学部フランス文学科の学生。卒論は、フランスの劇作家・ジャン・ラシーヌにするつもり。一日限りの医学部のアルバイトをしている。それを知った医学部の教授から、主人公の「僕」は叱責を受ける。

大江健三郎氏の小説における主題に関しては、性・政治・祈り・赦し・救済、それから核・障害者・故郷などとする意見が多い。もちろん、これらはその後に発表した作品も含めての評価である。大江健三郎氏は、学生作家として活動していた頃から、文学を通して政治に関与する、といった考えを述べていたようだ。

江藤淳氏は、大江健三郎氏を抒情的な作家に分類している。抒情家だが、過去の作家とは異質であったため、新しい文体が必要になった。それが、次のような文体とのこと。

論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体