文学批評と研究

文学表現全体の総合的な研究

横山秀夫『陰の季節』D県警シリーズの第1弾、松本清張賞受賞の表題作を含む4編を所収

横山秀夫さんの『陰の季節』は、4編を収める短編集として、株式会社文藝春秋より1998年10月に単行本が刊行されました。表題作の「陰の季節」は、1998年5月に第5回松本清張賞を受賞した作品です。

 

初出は、表題作「陰の季節」が月刊誌『文藝春秋』1998年7月号、「地の声」が月刊誌『オール讀物』1998年9月号。そして「黒い線」と「鞄」は書下ろしです。短編にもかかわらず、どの作品も内容が濃く、読み応えがあります。

本書は「D県警シリーズ」の第1弾です。「D県警シリーズ」は、『陰の季節』(1998年10月 文藝春秋)、『動機』(2000年10月 文藝春秋)、『顔 FACE』(2002年10月 徳間書店)、『64(ロクヨン)』(2012年10月 文藝春秋)、『刑事の勲章』(2016年4月 文藝春秋)と続きます。

本書では、主に警察の管理部門に属する人々の葛藤が描かれています。表題作「陰の季節」の主人公は、D県警警務部警務課で人事を担当する二渡真治。
D県警の天下り先のひとつに「産業廃棄物不法投棄監視協会」という社団法人があります。ここの専務理事はD県警の天下りポスト。このポストの人事に関する厄介ごとが起こります。もうすぐ3年の任期が切れるうえ、後任も決まっているにもかかわらず、D県警を勇退した大物OB・尾坂部道夫はそのポストに固執しているのです。二渡真治は、尾坂部道夫の説得を任されます。固執する理由は、単なる私利私欲ではありません。
二渡真治は、各編においても、重要人物となっています。二渡真治は警務課調査官。40歳での警視昇任はD県警の最年少記録。人事に強いエリート警視です。
「地の声」は、警視に昇進できない古参警部の悲哀。「黒い線」は、機動鑑識班の平野瑞穂巡査の葛藤。そして婦警担当係長・七尾友子の憤り。平野は二次的職務として「似顔絵描き」を任されている婦警。似顔絵婦警・平野瑞穂は、D県警シリーズの『顔 FACE』にも登場します。「鞄」は、警務部秘書課の課長補佐・柘植正樹が受けた不憫な仕打ちについて。柘植の職務は議会対策です。

横山秀夫さんは、松本清張賞受賞により注目され、小説家としてのデビューを果たしました。本書巻末の経歴欄には、12年の記者生活の後、フリーライターになったという記載があります。

横山秀夫さんは、12年間、地方紙の新聞記者として活動し、事件記事などを書いていたそうです。これらの経験が活かされているため、リアリティーのある作品を書くことができているのでしょう。

横山秀夫さんは、小学館が運営する文芸情報サイト「小説丸」に掲載されたインタビューで、次のようなことを述べています。新聞は、世の中の出来事やシステムを分析し、警鐘を鳴らし、提言をすることにかけては優れた媒体。その一方で、取材したことしか書けない。人の気持ちの揺らぎやにじみを伝えるのが苦手。聞いた話をいくら積み上げても真実には到達できません、と。
人の気持ちの本当のところを書きたかった。社会にとっての一大事よりも、誰か一人にとっての一大事に惹かれます、と。そして小説家を志したとのこと。
そして記者時代とは逆に、自分は世の中で起こりうるすべての罪を犯す可能性があると認めることが、作家としての出発点である、と。小説が、説教じみた押し付けがましい作品になっては、読者に嫌がられます。

横山秀夫さんは、インタビューで次のようなことも述べています。

相手を突き止めようとするのが記者の仕事なら、何十人もの顔を思い浮かべ、無言の理由を想像し続けるのが作家の仕事です。

そして横山秀夫さんは、警察担当の記者から県庁担当に異動になった頃に、小説を書き始め、仕事の合間に書いた『ルパンの消息』で、1991年の第9回サントリーミステリー大賞の佳作を受賞しました。

横山秀夫さんは、『ルパンの消息』が最終選考に残った時点で、12年間勤務した新聞社を退職したそうです。これはケジメとしての決心でもあったようです。
下馬評は大賞確実であったが佳作の受賞。そして小説家デビューをしそこねてしまいます。『ルパンの消息』は、改稿ののち、2005年5月に光文社カッパ・ノベルスより、2009年4月に光文社文庫より刊行されました。よって『ルパンの消息』は、著者がデビュー前に書いた処女作といった位置づけで述べるのが一般的でしょう。

1991年に12年間勤務した新聞社を退職してから、1998年の松本清張賞受賞までは7年間。巻末の経歴欄にはフリーライターと書かれています。少年漫画の原作やゴーストライターなどの仕事のほか、交通誘導のアルバイトもしていたそうです。
横山秀夫さんは、この7年間の経験が今の作風を決定づけている、といったことも述べています。