文学の嗜み

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東野圭吾『容疑者Xの献身』この世に存在することさえ知らなかった愛情表現とは

東野圭吾さんのミステリー小説『容疑者Xの献身』は、2005年8月に文藝春秋より単行本として刊行された。
初出は文藝春秋の月刊小説誌『オール讀物』で、2003年6月号から2004年6月号、2004年8月号から2005年1月号に連載されていた。連載時の題名は『容疑者X』だが、単行本化にあたり改題している。

本作は、第134回直木三十五賞(2005年下半期)を受けたほか、第6回本格ミステリ大賞、2005年度の「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」においてすべて第1位に輝くほど、評価の高い作品だ。
また『容疑者Xの献身』は、『探偵ガリレオ』、『予知夢』に続く、ガリレオシリーズの3作目にあたる。この作品は、単行本で360ページ、文庫本で394ページの長篇である。

この小説では、天才物理学者・湯川学と警視庁捜査一課の草薙俊平のほかに、帝都大学の卒業生がもう一人、主要な人物として登場する。彼の名前は石神哲哉。しかも湯川とは旧友という間柄だ。湯川は、石神のことを天才と認めるほど尊敬していた。湯川と石神は理学系の学生だったが、湯川は物理学、石神は数学を専攻した。
湯川は、殺人事件を捜査中の草薙から、石神という帝都大学の卒業生のことを聞かされ、旧友の所在を偶然知った。草薙は、石神が住むアパートの隣人、花岡靖子の前夫が殺された事件を捜査していた。
湯川は、草薙から石神の住所を教えてもらい、20年ぶりに再会する。この時は、旧友と会って懇談したいという、純粋な思いからの訪問だった。

石神は生涯を数学の研究に捧げたかった。けれども、両親の面倒を見なければならなくなる。修士課程終了後に、博士号を目指すつもりであったが、両親が高齢で持病があった。そんな折、教授から新設の大学の助手の仕事を紹介され、その話に乗った。しかし研究らしいことはできず、大学の状況にも失望してしまう。そして数学者として身を立てることを諦め、学生時代に取得していた教員資格を生活の糧とする、高校の数学教師の道を選んだ。
その事に関しては、石神は湯川に多くのことを語らず、湯川もまた深く尋ねようとはしなかった。二人は酒を飲みながら、学生時代の思い出を絡めながら数学のことを語った。

石神の隣人、花岡靖子は、今回の殺人事件に関しての容疑者の一人ではあったがアリバイがある。花岡靖子が主張するアリバイは、崩せそうな気配があるものの、確かなアリバイである。そして事件発生当初の警察にとって、湯川の旧友、石神は容疑者の単なる隣人であった。花岡靖子と石神には、隣人ということ以外に接点はない。しかし、警察や湯川にとっては思いもよらない事実があった。

花岡靖子は中学生の娘・美里と二人暮らしをしている。そして事件発生前の花岡母娘にとっての石神は単なる隣人だった。だが石神にとって、花岡母娘は特別な存在だった。実は一年前の石神は、生きる意味を見失いかけ、死ぬことばかり考えていた。石神は、数学しか取り柄のない自分がその道に進まなかったのだから、存在価値はないとさえ思っていた。そんな折、花岡母娘が隣に引っ越してきた。石神は、微笑ましく生きる花岡母娘から、生きる希望を見い出した。石神にとって、花岡母娘を助けるのは、当然のことであった。

警察の捜査が迷走している中、湯川は旧友の石神が事件に関与しているのでは、という疑念を持つ。湯川は思い過ごしであることを、心の底から願う。湯川は、警視庁の草薙に対しても、全面協力する気にはなれない。しかし、湯川は石神が靖子に好意を持っていることを見抜く。こうして完璧なはずのアリバイ工作は破綻し始める。もっとも今回の事件は、アリバイ崩しだけでは真相が解明しない。

たとえば試験問題を、幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題にする。アリバイ工作と見せかけで、じつは偽装工作の解明が必要だった。今回の事件は、天才数学者によって難解なトリックが仕組まれていた。あってはならないカモフラージュ。湯川のショックは大きい。そして湯川によって真相解明が近づいたとき、石神は最後の手段にでる。その行動には、誰もが驚愕する