文学批評と研究

文学表現全体の総合的な研究

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』1983年刊行の初の短編集

短編集『中国行きのスロウ・ボート』は、村上春樹さんの初めての短編集として、1983年5月に中央公論社(現・中央公論新社)より刊行されました。本書には、表題作の「中国行きのスロウ・ボート」のほか、雑誌に発表された年代順に、7編が収められています。初出は次のとおりです。

中国行きのスロウ・ボート 「海」80年4月
貧乏な叔母さんの話 「新潮」80年12月
ニューヨーク炭鉱の悲劇 「ブルータス」81年3月
カンガルー通信 「新潮」81年10月
午後の最後の芝生 「宝島」82年8月
土の中の彼女の小さな犬 「すばる」82年11月
シドニーのグリーン・ストリート 「海」臨時増刊「子どもの宇宙」82年12月
(巻末からの引用)

 

表題作「中国行きのスロウ・ボート」は、三人の中国人についての、主人公の「僕」による回想的な話です。終盤には、語り手としての「僕」が既に30歳を越えていることが記されています。
一人目は、小学生の時の話です。なぜか中国人子弟の通う小学校が模擬試験会場となり、小学生の「僕」は、そこで教師を勤める中国人と出会います。たんに監督官と受験生という関係ですが、その中国人による何気ない話が記憶に残っているのです。さらに6、7年後、高校3年生になった「僕」は、その時のことを、彼女との初デートで話します。
二人目は、大学二年生の春にアルバイト先で知り合った無口な女子大生についてです。彼女は、日本で生まれ、日本で育ちました。主人公の「僕」は、優しくて、機転の利いたセリフもいえるのに、ちょっとした気の緩みなのか、酒のせいなのか、誤謬を犯してしまいます。悪気はないのに、犯してしまった失態について内省的に語っています。
三人目は、28歳の時に再会した高校時代の知り合いの話です。彼とは、友人の友人といったあたりの関係でした。喫茶店で声を掛けられますが、思い出せません。高校時代? そして中国人というキーワードを聞いて、ようやく思い出します。

「貧乏な叔母さんの話」の冒頭は、連れと二人で散歩する場面です。「僕」は連れにむかって「貧乏な叔母さんについて何かを書いてみたいんだ」と伝えます。連れが尋ねると、何となく思いついた架空の物語のようです。

「ニューヨーク炭鉱の悲劇」の書き出しは、「僕」の友人の話です。その友人には豪雨の日に動物園に足を運ぶという変わった習慣があります。主人公の「僕」が28歳ぐらいのときの話です。そして葬式の多い年であったことや、小さなパーティーで紹介された女性のことなどが語られます。

「カンガルー通信」は、主人公の「僕」が26歳で、デパートの商品管理課で働いているという設定です。職業の割には、軽いノリで始まり、軽いノリで終わります。読者は、文章全体が意外な設定であることを、話の途中で知るのです。

「午後の最後の芝生」の書き出しには、「僕」が18歳か19歳の頃の話であり、14年か15年前のことであると、記されています。1982年は村上春樹さんが33歳の年です。ちょうど村上春樹さんの実年齢と同じ設定で書かれています。主人公の「僕」が語るのは、同い年の恋人や、芝刈りのアルバイトと、出会った客についての、思い出です。

「土の中の彼女の小さな犬」は、「僕」がリゾート・ホテルに滞在したときの話です。「僕」は、毎年、このホテルを訪れています。「僕」は物書きで、インタビュー記事やルポルタージュを書くのが仕事です。
ガール・フレンドをつれてくるつもりでしたが、直前に喧嘩をしてすっぽかされてしまいました。「僕」が失態を演じたわけではありませんが、彼女には不満があったのです。仲直りしようと、ホテルから彼女に電話を掛けますが、電話に出ることさえありません。
退屈をまぎらそうと図書室で本を読んでいると、女性から声を掛けられます。何となく気になっていた女性です。本編のタイトルは、その女性から聞いた話が関係しています。

「シドニーのグリーン・ストリート」は、主人公が父親の財産を相続した大金持ちという設定です。知り合いのいないオーストラリアで、お金持ちであることを隠し、なぜか私立探偵事務所を開きました。といっても、ほとんど仕事をしません。お金があるので、働く必要がないのでしょう。
「僕」は、中国人ハーフの女の子「ちゃーりー」に好意を寄せています。彼女もまた、いろいろと手助けしてくれます。ただし二人の関係は微妙です。
この短編には、羊男と羊博士が登場します。両者ともに長編小説『羊をめぐる冒険』(講談社, 1982年)の登場人物です。本編では羊男が主人公の「僕」に仕事を依頼します。村上春樹さんが「シドニーのグリーン・ストリート」を書いたのは、『羊をめぐる冒険』の発表のあとです。意識して登場させたのでしょうね。